「日記的な日記」

高校生の終わりか大学生のはじめか覚えていないけれど、日記を最初に書き始めた目的は一日の行動を振り返るためだった。ちょうどその時Webで「日報」的なものが流行っていて、たしかr7kamuraさんが作ったnippoみたいなやつを使って日報を書いていた記憶がある。僕の日記には常に「やったこと」と書いてあるけど、それはその名残なのである。

しかし、こういうご時世で、家からあまり出ることもなく、起伏のない毎日だと、『日報』に書けることはあまりない。研究がバンバン進んでいたりすればいいのだけど、そういうわけでもない。OSSの開発をしているわけでもない。課題をやってるか研究で唸ってるかバイトしてるかゲームしているかボォっとしているかのどれかから選んで過ごす毎日であり、自分の生産性のなさを感じて辛いばかりであり、もっと正直に言えば飽きてきた。

まあ筆を置いても良いのだけど、最近日記を始めた知り合いはみんな自分の書きたいことを日記に書いており(当たり前だが)解決可能な羨望が常にあった。違国日記に書いてあったとおりに、日記には書きたいことを書けばいい(あのページで本質的なのは「書きたくないことは書かなくてもいい」の方だが)と思い直したので、自分の好きな話を試しに書いてみようと思う。どれくらい書くのに時間がかかるのかも気にしつつ。


ここのところは風花雪月ばかりプレイしている。私が延々と風花雪月をやっていることはTwitterやら日記やらに書き散らしているので、まあ皆さんご存知だと思う。知らなくてもいいが。全部で4ルート(DLCを含めると5ルート)ある中の2ルートが終わっており、今3ルート目をやっている。2ルート目をクリアしたのは確か4月とかで、しばらくの間触っていなかったことになる。なぜプレイしていなかったのかというと理由は簡単で、ひたすら時間を食うからである。育成、会話回収、探索、戦闘、ありとあらゆることに時間がかかる。特に会話をすべて回収するためにゲーム中の本拠地となる修道院を走り回り食事を取り先生から先生として指導を受けということをやっていると時間を食う。とにかく食う。二周目は丁寧にやった結果60時間近くかかってしまった。私はとにかく楽しみを分散させるのが下手で、まるで初めてチョコレートを食べた子供のように好きなものに向かい続けてしまう幼稚な部分が直っていない。結果として一日十二時間クリアを目指してやってしまうようなこともあった。同期が卒論の締め切りで徹夜しているとき、私は風花雪月で徹夜していた(もともとそれより前の学会で書いてた分をつなぎ合わせるだけだったので、論文の執筆自体ほとんどなく卒論締め切り前は自由な時間が多かったのだ)。

プレイ時間がとにかく長い理由は私のプレイスタイルの問題もある。私はとにかくゲームにおいて読みを行うのが苦手なのだ。プログラミングは最終的に作るべきものが水平に並ぶので、その並んだ時点で考察をすれば基本問題なくできる。が、ゲームは水平には並ばない。前の戦況は次のターンには残らないが当然影響はしてくる。何を当たり前のことを言ってるのだと思われるかもしれないけど、私はこれがとにかく苦手だ。どうやってここまでやってきたのかもわからないが、子供の頃から苦手である。昔将棋が一切強くならなかったのはつまりこいうことなのだと思う。今でも将棋や囲碁をやりたくなる瞬間はあるが、自分には向かない競技だと思って諦めている。

話を戻すが、風花雪月は当然戦術ゲーム(という言い方があっているのかわからないが)なので、読みが必要となる。最初の頃はこれが本当にできなかった。風花雪月には一定回数過去の戦況に戻せる天刻の拍動という機能があって、これを使ってどうにか勝利していた。これは前のターンに戻る機能なので、当然使えば使うほどプレイ時間が長くなる。私のプレイ時間が長いのはそういうことだ。クリティカルや配置のミスや武器の整備忘れで何度巻き戻したかわからない。

最近はそれなりにプレイに慣れてきたので、あまり頻繁に巻き戻す必要はなくなってきた。しかし、現在プレイしているルートが前より早く終わりそうかというと、それはない。なぜなら、セーブデータを一度捨てて途中のポイントからまた新たにはじめてしまったからである。なぜこういういことをしたかについて説明するために、風花雪月の中のストーリーについて簡単に説明する(以下多少ネタバレあり)。

風花雪月は、教師時代の1部と戦争中の2部に分かれる。1部で他学級だった生徒を殺す必要があるのがこのゲームが「地獄」と言われる所以なのだが、それを一部防ぐ方法がある。スカウトだ。これは簡単に言えば、他学級の生徒を自学級の生徒にすることができるシステムである。これにより、他学級から自学級にいないタイプの生徒を引き抜いたり、自分が殺したくない相手を引き抜いたりできる。ここでの引き抜きは、第2部にも影響する。引き抜いた生徒は、自陣に入る。つまり祖国を敵に回して戦うことになるのでこれはこれで一つの地獄なわけだが……。それはさておき、第1部でスカウトできなかった生徒は、多くの場合敵になる。そして死ぬことになる。(基本スカウトしていれば敵になることはないと思っていれば良い)。

今回のルートでは、あまりスカウトを意識せずにルートを進めていた。結果として、何人かのスカウト漏れがあった。私はまあ問題ないだろうと思い、そのまま進めていたのだが、結果として一人の生徒を殺すこととなってしまった。それは貴族で責任ある立場であるとか、大きな罪を犯しているとか、そういう子ではなく、本当にとにかくいい子だった。前ルートで優秀な弓兵として働いてくれた彼を殺してしまった。なんてことない戦いの中で、彼を殺してしまった。

本当に辛かった。あまりにも辛かった。彼の死に際のセリフを見た私は耐えられなくなり、ゲームを中断して、運良く保存していた途中のデータからやり直すことにした。これにより、十時間以上の時間が吹き飛んでしまったが、スカウトには成功した。一件落着だが、スカウトしなかった未来を知っている自分の心には悲しみが残る。

そもそも風花雪月は戦いを避けることのできない物語だ。それは主人公がいようといまいと避けられないことで、時代のうねりの中戦わざるを得ない者たちがいる。そういうゲームだと僕は認識しているし、だから前ルートでの味方を殺さざるを得ないことを、そういう時代の中の必然の犠牲だと思ってプレイしている。

しかし、これが時代の渦に巻き込まれた側のこととなると、話は別だ。なんてことない行動の選択で死んでいくことになる人々のことを考えると、あまりにも悲しくなる。当然人生というのはそういう側面を持つものではあるが、それを改めてきれいにゲーム中で見せつけられた衝撃は大きい。教師が気まぐれで食事に誘った回数が生死に繋がることが可視化されると、その儚さに想いをはせてしまう。風花雪月は戦争を描くのが上手いが、この犠牲や死のあり方の描き方・誘導の仕方も優れた点の一つであろう。

そういうことを考えながら作業をしていたら、些細なミスで同じことを繰り返す羽目になった。私はdockerの仕様に唸りながら、天刻の拍動が使えたら便利なのに……と思った。しかし、天刻の拍動で戻した分の時給は発生しないと考えると、なかなか判断は難しい。そういうくだらないことを考えるだけの自分のもとにも、大きな時間のうねりは来るのだろうかと思う。その時流されていくであろう私が、少しでも自分の意思で戦えるのだろうか。最後まで弓を手放さなかった彼のように。


書いてみたが、これはエッセイでは?オタクのエッセイ、読む人がいるのだろうか。まあ、日記は「書きたいことを書く」ものだから、それでいいのだけど。